
90年代、過激なファイトでプロレスファンから熱い支持を受けたFMW。そこで大仁田厚と「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」を戦ったのがターザン後藤さんだ。この試合は今も語り草になっているが、後藤さん、今どうしているのか。
会ったのは東京スカイツリーでにぎわう東京の下町、墨田区京島にあるスナック「スーパーFMW茜」。“鬼神”と呼ばれたのがウソのような優しい目をしている。
「おかげで凄みが足りないって言われることがあるけどね。オレにはプロレスの師匠が2人いるんだ。ひとりはジャイアント馬場さん。馬場さんはレスラーはいくつもの顔を持ってないといけないと言ってた。もうひとりは“アラビアの怪人”ザ・シークで、彼は“24時間、自分はシークでいなきゃダメだ”が口グセだった。オレもどんな時でもプロレスラーとしての誇りを背負って生きてるよ」
10年に12人が所属する「スーパーFMW」なるプロレス団体を旗揚げ。墨田区周辺を拠点に活動している。
「ウチはプロレスが好きで好きでしょうがない、プロレスがなければ生きていく価値がないって人間の集まりなんだ。下町にこだわるのは下町が大好きだから。オレが墨田区八広に住み始めて7年。仲間に入れさせてもらってるよ。街を歩くと、後藤さ~んって声をかけられるし、興行にはいっぱい応援に来てくれる。下町からプロレスのトップを目指したいね」
■セット料金3000円で飲み放題
スナック「スーパーFMW茜」は3年前にオープン。昼は団体事務所として利用している。
「ファンとの交流の場が欲しくてつくったんだ。地元はもちろん、全国から来てくれるファンがいて感謝してるよ」
3000円のセット料金でウイスキー&焼酎が飲み放題。カラオケも歌い放題だ。スタッフは演歌歌手の茜ちよみママと団体に所属するニューハーフプロレスラーの鮎川れいな。後藤さんは毎晩8時過ぎに顔を出す。
さて、81年、全日本プロレスでデビューした後藤さんは83年、プロレス大賞新人賞を受賞するなど将来を嘱望され、85年、アメリカへ武者修行に。
「当時、アメリカは景気が悪く、なかなか試合が組めない。で、ジャパニーズレストランで皿洗い、ステーキハウスでシェフをしてチャンスを待った。日本のプロレス雑誌にはターザン後藤はプロレスから足を洗い、皿洗いをしてる、みたいな記事が出たりしてね」
アメリカで悶々としていた89年、大仁田厚に誘われ、FMWの旗揚げに参加。
「最初はオレも兄貴の測量会社を手伝いながらリングに上がるなど、苦労が絶えなかったよ」
■「退団理由? 墓場まで持ってくよ」
それが90年8月、大仁田との「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で潮目が変わった。
「その年のプロレス大賞年間最高試合賞を受賞してね。プロレス一本で食っていけるようになった」
当然、ファンは後藤さんと大仁田の関係は盟友、同志とみていた。それだけに、95年、大仁田の引退試合の相手に決まっていた後藤さんが試合1週間前に突然、FMWからの退団を発表したのは驚天動地の出来事だった。
「退団の理由? それは言えない。墓場まで持っていくよ。ただ、現役のプロレスラーの中でFMW魂を継承してるのはオレしかいないと思ってる。でなきゃ、団体名を『スーパーFMW』としないって」
アメリカ遠征時代、現地の女子プロレス選手と結婚するも、離婚。墨田区八広の一戸建ての借家に一人暮らしだ。