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土産は韓国流タテの速さと強さ 日本復帰を選んだ大宮MF増田誓志 - news15

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2025.08.10|コメント(-)トラックバック(-)

土産は韓国流タテの速さと強さ 日本復帰を選んだ大宮MF増田誓志


 端正なマスクのMFが2年ぶりにJリーグでプレーすることになった。今季の第1登録期間(1月3日~3月28日)が閉じる直前、韓国Kリーグの強豪・蔚山からJ1大宮に期限付き移籍で加入したのは増田誓志。鹿島で2007~09年にリーグ3連覇を経験し、11、12年には日本代表にも選出された28歳。「蔚山は単純にいいチーム。ぎりぎりまで迷った」。背中を押したのは、着実に成長を遂げた姿を自国で披露したいという欲求だった。(奥村信哉)

 移籍が発表されたのは3月26日。同日の練習からチームに合流した増田は紅白戦形式の練習でボランチとしてサブ組に入り、大熊清監督の指示を受けながら、連係の向上に取り組んだ。全体練習後には居残りでランニング。「一番いい状態を思い描くと、あと2、3割くらい上げないとダメ。しっかりと見せられる体を作って、試合に出してもらえたらいい」と責任感の強さをのぞかせた。

 今季はここまで、蔚山の一員としてアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の2試合に出場。川崎などのいる1次リーグH組で首位を走るチームを、パスの供給源として支えてきた。蔚山は12年にACLを制してクラブ・ワールドカップ(W杯)に出場しており、鹿島時代にも経験したアジアや世界との戦いは、増田にとっても大きな魅力の一つだった。

 その舞台を捨ててまで日本に戻る決断を下した理由をこう説明する。「オファーが来たとき、『俺、今、日本でどれくらいやれんだろ?』と思った。どう変化したか、成長したかをピッチで見せたい」。サッカーでも生活でも環境の異なる隣国で自身を1年間磨き続けた。慣れ親しんだリーグに再び身を置き、その成果がいかほどだったかを一刻も早く試したい思いが勝ったようだ。

 身に付けたと口にするのは、手数をかけずに押し切る速さと強さ。「日本だと確実につないで、空いたところで前へ…だが、向こうは結構、縦に速い。1年やってみて、そういう部分は前より力がついた。全部が全部そうなると(日本人的な)よさがなくなるが、『今だ』という瞬間を逃さないプレーを見せたい」と腕をぶす。

 U-18(18歳以下)日本代表の肩書をひっさげ、04年に宮崎・鵬翔高から鹿島に入団した増田。07年からのリーグ3連覇にも貢献したが、小笠原満男や青木剛らの牙城をなかなか崩せず、10年には出場機会を求めて山形へ移籍した。新天地で「パフォーマンスが悪くても続けて試合に出させてもらい、自信にもなったし、修正力がついた」結果、鹿島に復帰した11年には先発に定着。同年8月の代表候補合宿を経て、9月には追加招集ながら、W杯アジア3次予選・ウズベキスタン戦の遠征メンバーに名を連ねた。

 翌12年2月、国内組のみで臨んだシーズン初戦のアイスランド戦で代表デビュー。遠藤保仁(G大阪)とのダブルボランチをそつなくこなしてフル出場し、ザッケローニ監督を「クオリティーもありながら、ピッチ全体をカバーできる」とうならせた。もともとパスセンスには定評があった増田。この活躍で「ポスト遠藤」の1番手と位置づけられる立場に躍り出た。

 だが、この年、ジョルジーニョ監督を迎えた鹿島では柴崎岳の台頭もあり、出場機会は徐々に減少。代表からも声がかからなくなった。心機一転を図るため、オフに選んだ道が蔚山への移籍だった。

 もちろん今でも鹿島への思い入れは強い。「正直、一番楽しみ。(成長が)ちょっとやそっとじゃ、『何で出ていったんだ』といわれる。『よかった』といわれるプレーをしないと、認めてもらえない」。まずは古巣の本拠地で激突する7月23日の対戦を心待ちにしている。

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2014.03.29|コメント(-)トラックバック(-)
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